[庶民の暮らし]
たとえばあそこT百貨店、建物がまだ残っていてちょっぴり驚くやら懐かしいやら・・・ここにはなんでもあり当時(ハイティーンくらいかなぁ)最先端の(?)ヨーグルトを初めて、手に入れて家族と食べてみたものです「不評」なり(笑)
興味深々で、雑誌から仕入れた情報であれこれ試してみたいお年頃(?)「なんじゃこりゃあ(腐ってる)」と家人約数名には言われましたっけ。不肖kominka(ツマ)も、初めて食べる味に・・・最後はどうやって食べてしまったのか? 記憶にはないけれど今なら、ジャムやはちみつを混ぜて食べるって知っているしなんなら「そのまま」でも食べることができるようになりましたけろ(訂正します ブルガリア・ーグ・ト はやはり、そのままではスッパイですわたくしあは!)みなさまはいかが? いまはたくさんのヨーグルトがあり流通してていろんな種類も増えてますけれど。食習慣の違いというか、田舎暮らしで(味噌・しょう油味で)暮らしているから、私の家族は「新しい味」ヨーグルトやチーズ etc に(洋風に)なじまなかったのだろう・・・・この頃では、昨今のはやり南方系の辛口・スパイスは、kominka(ツマ)苦手だったりするし(それだけ年を重ねた・・・ちゅうことかなぁははは)
元百貨店だったビル・・・と思われる(記憶)
古くからある商店街まだまだ健在
※過去ログより 2017.2.19.
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静かな昼下がり・・・・
パンを焼いてみたくて(結局、そちらはいたしませんでしたけろオーブンないし~~)イースト菌が置いてあったのもここだけでしたねぇ。抱き人形(少し大きなぬいぐるみ程度)作りにはまっていてその「肌」用の布、ここにもなくて・・・・綿ジャージを探して大都会(わたしとしては)の手芸用品店を渡り歩いたりもしたなぁ nishijin の布屋さんにあったり。その手始めがこの町でした時間がいっぱい(?)あった、若かりし頃の「思ひ出」(笑)あのころは、お酒(酒造場)や麹に興味がないので(若いころはネははは)こちらの酒蔵・しょう油蔵がいまも日本人の底流として、脈々として残っているのをありがた~~く思います。
木造3階建て、居酒屋さんかな・・・活用されててうれしい
そのまたムカシ(今や半世紀以上前のこと)このあたりに従姉妹がすんでいて、もう一人の叔母の貸家住まい・・・たしかお宮のそばだったよね、お祭りの賑やかな時に行ったかすかな記憶が。
由来のあるご神木げな・・・
そのまたむか~~し、なにそれの軍団がオノでこの木を切り倒そうとしたけれども老婆が「これは由緒ある木、これを切るならわたしを殺してからにせよ」と立ちはだかったそうな・・・・ふむふむもはや、500年くらい前の話。
ちょっとおしゃれな・・・狛犬さんたち(なんか珍しかろ? )
ご神馬(あれをなでるといいらしい・・・)
※過去ログより 2021.10.22.
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庶民はこうやって「立て直さず」暮らしてきたのでしょうねそれぞれのオサイフ事情に合わせて。ない袖は振れぬですもんね(笑)近くに大工さんもいなくなり(ここにいた叔父は大工さんでした。まるで横丁の八つぁん熊さんみたいに、そばには職人さんが住んでたのでしょうねぇ)少し郊外に家を、建ててお引越しされたのよね。
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ではよい日曜日でありますように~~♬