古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 築100年以上の「町家まちや」の見学会するので、ちらしをあちこち、お届けしている。興味ありそうな人にではあるが。なにせ車の運転をしない人には、ちと遠い場所である。このあたりでは『い○しま免許』と言って、この地域限定でしか運転しない人が多い(笑)。tenjinまで電車で1時間、そのあとバスで30分・・というと、かなり遠い。乗り継ぎの時間も入れると、2時間はみないといけない。なんだか、来てくださる方が少ないかもしれない、「見学会」である(不安)。
 知りあいが、ほとんどいない地域でもある。手探りもいいところ・・なので。あれこれ試してはいるが、宇美のご近所のお年寄りの方とか、来てくれるだろうか??


 でも、ちらしを手渡ししながら、相手の反応というか・・・お話しをするのは、けっこう楽しいものだ。先日は、「通し土間」のある古い大きな農家に育ったという40代の女性と、話した。彼女は、興味はあるけれど、畑(自家菜園じかさいえん?こんな字かな)も忙しいしー・・ということだった。
 育つ過程で、そんな環境だったのが、今につながっていることに、今さらながら気がついたと言われた。彼女は、ほんとうに自然体で、環境問題や地域の活動(PTAも含めて)や、原発の核廃棄物最終処分場についても敏感に反応され、バイオや太陽エネルギーも取り入れた生活をしてある。おまけに、綿を育てて、綿織物(機織り)を作る人でもある。すごいでしょう。気負わずに、まじめに楽しく、笑ったり怒ったりしながら、ご近所とも仲良く暮らしてあるのです。



 そこで話したのだが。「昔の家は、寒かった」すき戸に、障子紙を貼れば・・よかったのよねとか、kominka(ツマ)もそんな家で育ったので、話は大いに盛り上がったのである(笑)。「土間炊事場も、農作業する人には、便利なのよね・・・」と。
 当時、家を扱う(工事する)という発想はなかった。たぶんお金もなかったんだと思う。当時の農家は、現金収入は、ほとんどないもの・・・。社会全体も貧しかったのだろうけれど。


 今ちょっとしたブームの、古民家工事。あれだけ「やりかえれば」、新築と同じくらい?お金もかかっているし。水回りを快適にして、床暖房まで入れれば、快適だろうと思いますねぇ。(今している工事が、そういう「古民家再生」工事であります)
 ほんとうに。昔の家は、寒かったし不便でしたーー。


追記:きのう、がらくた市のお客さん(受付のノートに、毎回記入してもらっている)に、はがきを約100枚出した。きょうのお昼には、もう一人電話があって、ちょうど太宰府の骨董市もあるので「行きますっ」と、言われました。こういう方がいらっしゃるから、続けられます。ありがとうございます〜〜。