昨夜は「お観音講」田植え前は特に忙しいので午後8時になっても一人くらいしか集まらないしばらく待って4人くらいに増えた頃からお経をあげる、「観音経」「十句観音経」「般若心経」「舎利礼」などなど。
紫陽花が咲きはじめた (去年の写真)
同じ紫陽花の苗なのに「うちは赤くなる」「え?うちは青いですよ」なんて情報交換したり、キモノを着てある人(どこぞに出かけた帰りらしい)の「帯結び」の話は面白かった、腱鞘炎になりお太鼓帯が結べないので「切って」「縫い直している」と言われるのでとうとうおしまいには帯をほどいて?もらって拝見する(笑)
× × × ×
それとは違うけれどKominka(ツマ)も「どんざ」を繕つくろったじゃないですかー?(笑)、「がまぶせ」というのは方言と思うので説明しづらい・・・・今朝もジーパンをフセながら(ジーパンは膝がすぐ破れる)布が柔らかくなるとはきやすいことを感じるのである。
「がま」って沖縄では洞窟(あな)のことじゃない?「あな」を「フセル」から「がまぶせ」って言うのだろうか・・・なんて考えつつ裏からTシャツの布地で当て布をしているところ。だって穴がどんどん大きくなるんだわ、早く(ハク前に)がまぶせしとかなきゃ。
子どものズボンの「お尻」が擦り切れていたんで(はっきり大きな「穴になって」破れていたのだ)「これは〜」と張り切ってフセヨウトしていたら母にも誰かさんにも「もう捨てとき」ち言われたのだった。それは高校3年間通学服で、はきやすいのか「愛用」しておりまぁ寿命かもしれないのだった。お尻の“擦り切れた”部分をフセルのもおもしろかろうと思ってたんだけれどネ。
ジーパンを「フセテ」着ていてちょっと恥ずかしくて言い訳するとみなさん「若い人はみんな着てるじゃない」と慰めてくださるけん、つい安心するのであーる(笑)、『赤毛のアン』が嫌いなものに「継ぎもの」とあり、子どもの時はなんのことかわからないので想像もつかなかったけれどあれはパッチワークの「柄」を縫わされている(ピースワーク)のである。子ども(アン)には気が遠くなるような作業だと思う。
うちのみかん箱入り息子にkominka(亭主)が電話して「なんしよった?」と聞いたら「繕つくろい物を」とのたもうたそうな(爆笑)、「若いのに感心」とは・・この笑い話を人にするとみなさんおっしゃってくださり誰も「貧乏だから」とは思われない?らしいけれど、どっちかというとそっちのニュアンスが強い我が家であり繕い物に燃える?母子なのだった。ただし単なる「がまぶせ」で、芸術性はまーったく「ない」と思われる。ぷぷっ。