[田舎暮らし]
9月になったからといって、「秋に(涼しく)なった」わけではなくまだまだ昼間は蒸し暑いし日ざしも強いので、風が吹いているからと油断されないでおすごしくださいね。
「山」はすっかり、秋の入り口に・・・・
毎月のように「見るだけ」ですが、峠をドライブしていたのだけれど・・・それ(山行き)がなくなるというと、寂しいような(笑)うれしいような。せめてこれからも、女岳・浮嶽・とんぼに登ったりして「見て」いきたいなと思っているところです。
「のわけ野分」という言葉が確かに、そんなことなんだと自然現象(台風)の様子を観察するのも大切かなぁと思っているのでした。そしてそれを「片づける」人たち(林業の国土保全の・・・)ありがたいなぁと。
※すぐ「そば」まで車で行き、登山したい(40分くらい登る)と考えていまする(笑)
エネルギー問題は、「むつかしいので、よくわからない」と言われたりもするのですが、不肖kominka(ツマ)がついつい親しい人には熱を込めて(つばを飛ばして・・・コロナ禍では、いかんやろ! ははは)説明していると、「わたしには、わからんけん」ち言われるけど、電気を享受して便利な生活をしている以上「日々の暮らし」のこととしてちょびっとだけ、ニュースとかに関心を持ってればそれだけでもいい・・・と思うのでした。
山道ドライブ
センソウ(紛争、侵略・略奪行為)もそうだと思うのだけれど、無関心が一番怖い・・・そして雰囲気ができてから「なだれこむ」風潮に、一人抗することができそうにないので(わたしとしては)それがコワいのです。
有名な話ではドイツで、ふんしょこうじゅ??焚書坑儒で、ケストナー(児童文学者でもある)の著作も広場で焼かれたときに、見に行っていた彼が(見に行くほうも、たいしたもんだけれど・・・)群衆の中の人に気づかれて「あ、ケストナーだ」と言われあわてて逃げ出したという話。あの時代に、母国にとどまったのも偉いけれど(当局に目をつけられていたのに)・・・・いろんなことを思わせられるのでした。オーバー・おおげさかもしれんけど不肖kominka(ツマ)ついいろんな妄想をしたりしていかんにゃ~~。
とにかく。うちあたりでは「山」は中止になったけれど「海」洋上風力発電が、風光明媚な玄界灘に60基以上・・・とか、信じられない多さだし今度は行政も後押ししているのがどうも、気になっているところ。「山」は、見に行くことができるけれど「海」は潮の流れや、『スィミ―』(レオ・レオニ著谷川俊太郎訳の絵本)のような小さな小さな魚たちや海草たちも、泳げないので見ることはできないのでよけい・・・・なんだかね・・・・。
気がつけばみなさまの回り(近く)にも、携帯電話の電波塔やらなんやら立っていませんか? 「なんかわからん」のがある・・・というふうに無関心が、いかんと思っているのです。どうぞみなさまも、気をつけて近くの「自然観察を」されてくださいね。