[田舎暮らし]
子どものころは太宰府天満宮(にお参り)に行くことを「あ、さいふに行ったとネ」などと回りの大人に言われたりしてたけれど、オサイフのような? へんな言葉・・・ち、思ってたものだった最近やっと「太宰府」の「宰府」なのかとわかったり(遅すぎるははは)方言かと思いよった(笑)
※天満宮のHPより
※※ときどき、変えてあったのね(笑)しらなんだ・・・・
うち(実家)は甘党なので梅が枝餅といえば10個買うのが当たり前、一人で二つも三つも食べる人もいるからそれでも、足りないくらいだった(笑)さだまさしの歌に「 ♪ 君が一つ、僕が半分~梅が枝~餅を食べた・・・」というフレーズがあり、そうそう「飛梅」という曲でしたね(笑)「心字池に掛る~~三つの赤い橋は~~う♬う~♬う~~~(ハミング)」と歌詞を忘れてるもんで、鼻歌を歌いながらの散策です。
大人になると(?)古い建物、庶民の家もたくさん残っていて路地裏に興味が(笑)観世音寺から天満宮まで15分くらいなものですから、ウォーキングと思って(駐車料金を節約? えへ)うそうそ(方言、うろうろ)歩いておりますおもしろか~~~。
そういえば・・・・文法の先生が(私たちには古語の文法・先生のご専門分野は無理だろうと「口語」の文法講座だったははは)アクセントだの方言を「恥ずかしいことはありません、古い言葉が残っている(研究の余地がある)のです。あなた、どこの出身ですか? 地域は? 」と、どの学生でも彼女に言われたことがあったけれど二十歳前後の若者は(笑)共通語で話す努力をしていた時期でもあり、ひなびた言葉(方言)を少し小ばかにしていた気がする。今、この年になると、建物(住まい)も風習もいろんな言い習わしも「いいなぁ」と思ったりするのだった。
もちろんどこの地域でも弥生時代から(その前からでも・・・)歴史はあるのだと思うけれどやはりそこは政庁跡というか藤原・一世を風靡した藤原一族(たぶんうちの家系とは何の関係もないとは思うのだがははは)の政敵で左遷された菅原公・・・への判官びいきというか? 一晩で飛んできた梅だの、亡骸を乗せた牛が(ぎっしゃ牛車)どうしても進もうとしなかったので(榎寺)だの千年過ぎても、庶民ですらも「知っている」歴史なのだった。
※過去ログより 2019.12.4.
fujiwarakominka.hatenablog.com
「西の戒壇院」の瓦
それでも「現代」ではある・・・・・住居表示が、お寺の門に張りつけてあった(笑)それはそれ。
時代は流れ・・・先の大戦(もう80年くらい前)を反省して「日中友好、不戦の碑」というのがお庭にあったりするのだった。
こないだ(5月に)来た時と、場所が変わってないか?? と、思って写真を探してみると、同じところにあるようでした。ただ数年前(もうひと昔のことかもしれないデス)からは、少し移動してる気がしている・・・わかんないけろ。
※「さつき」の光の中で、撮った写真
さて。数日続いた太宰府ネタ・・・・これにておしまいです(笑)明日は月曜で、うちは仕事ですから今日はのんびり、所用をしつつ書いていましたけれども。どちらさまもよい連休でありますように♬