*[田舎暮らし]
おはようございま~す(笑)のんびり(いくらか遅い時間に)朝ごはんなのだけれど誰かさんはほとんど同じ頃に食べる・・・なので3が日は毎朝(いえ。お餅があるのよねぇ)お雑煮を作らねば(笑)
いいお天気が続く今年の正月ですねぇ♪♪
寝正月(別に、寝て読まなくてもいいのだが)で、新聞や本を読んでいましたあは。
『物には心がある。』田中忠三郎( アミューズ エデュティンメント )
消えゆく生活道具と作り手の思いに魅せられた人生
※前のブログのときは、「本の紹介」はあまぞんサイトでできていたのだけれど・・・どう使いこなすのか? 謎だ・・・・
※※今、ネットで調べたら・・・定価1000円(初版は2009年、これは2017年版)がにゃ~~んと¥4980ですと(笑)
東北で「ボロ」に魅せられた方の短い文章(テーマ)で、「もの」や布・民具など庶民の生活に思いをはせて。牧野富太郎さんでしたか?(うるおぼえ)小学校だけの学業だけれど学者になられた・・・そんな方はこないだまでそこかしこに(?)おられ、民俗学・植物・歴史などなどに貢献されてありますよね。みなさんの回りにも「噂」の方がおられませんでしたか?
うちあたりでも原田大六さんという人がおられた・・・邪馬台国・卑弥呼糸島説(朝倉説もありますけれど)島原のえ~~っと有名な方もありましたけれど・・・誰だっけ名前、思い出さない・・・
※『まぼろしの邪馬台国』宮崎康平著でした(読んだことはないえへ)そのうち・・・ね、読んでみまする。
で、さっきの田中忠三郎さん(故人)ですけれど・・・それは壮絶な発掘(雪の中を毎晩一人で、夜中に掘る。青森ですよ・・・凍死してもおかしくない)をされたり「すごい」執念というか、縄文土器に魅せられブルドーザーが入る前に(めぼしをつけた大地が畑に開墾されていたころ1958年くらいかしら? )とうとう5年ほどは仕事も辞めて(つまり収入はまったくない生活)専念されたそうでありまして・・・・けれどあの時代ごろ全国にたくさんそんな有名無名の人があったのだろうと思います。
わが郷土の原田大六さんも、国に寄付すると帰ってこない地元のものでなくなるという信念で例の大鏡を手放されなかった・・・この田中忠三郎さんも全国から骨董屋さんがこられ法外な値段(彼にとっては)でかなり誘惑されたけれど(そのゆらぎも語ってある・・とてもよくわかりますkominka(ツマ)切に)一点も売られなかったそうで。
重要文化財などになると建物ですら「最初のまま」に復元しないといけないので・・・現在、お住まいの老夫婦がおられた古民家を「古い建」で見学した時kominka(ツマ)なにやらフクザツな思いがいたしたものです。住みやすく、今も暮らしていけるように、していいんじゃない??
そりゃあねわたくしの「ぼろ」(畑ぎもん)なども、何の価値もない・学術的にもですし、他の誰かさんにはその「もの」には何の思い入れもないと思いますけれど、そんな「もの」たちそれを大切に暮してきた庶民の「がらくた市」をみんなで楽しみたいなぁと思っているのでございます・・・・
※畑ぎもん(畑で着る上着)と思われる。
不肖kominka(ツマ)の実家の母などは眉間にしわを寄せて「そげな汚いもん」ち、言うに決まってるしうちのおばあちゃんですら「それを着て、このへんで歩かんでね」と(笑)でもね、わたくしとある方からのご縁でいただいたときすんごーく嬉しくて「見せびらかしたい(方言。いばって見せてそーつく)」気持ちでした。いやはや「わかりやすい性格」ではあるのよねぇあはは。