古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 寒い日が続きますねぇ「のたりのたり」の海の写真でも載せて・・・けふは、思い出話でもちらと(笑)書きましょうか? ホント昔は寒かったけれど人間の体も(自分で言えば)いくらか今よりタフだったり若かったり(成長期?だったし)「寒い」ち、思わなかったような子犬のように雪の日は走り回っていたような・・・



定点観測
 姫島
 小富士(加也山)


 文部省唱歌なるものは今や、なんとかを唄う会などでしか聞かれなくなっているけれど「たき火」を歌える人は多いのではないかな? ♪♪垣根の垣根の曲がり角〜〜〜と・・・たぶん日本全国あちこちで「落ち葉かき」してたき火をしていたのだろうね。「むらのかじや」を見かけないから音楽の本からはずしたのだの噂だったけどそうじゃなくて昭和50年代ころから教科書にもニューミュージック?系の楽譜が載るようになりましたっけ。文部省唱歌を学校で習ったのは旧石器時代スマホをあくまで使えない・・・)の私たちが最後かしらん?(笑)みなさまはいかが??


 ウン十年前(半世紀前とはっきり書けばよいのだが・・・えへへ年齢をヒミツにしたいのよ)子どもの足で40〜50分かかる小学校に通ってたので遅くとも7時20分には家を出なくてはいけない・・・霜柱の日も、雨の日もどの家にも車のあるはずもないしもちろん子どもは「送ってもらう」ことを誰も期待していないし・・・・家族が庭にたき火をして送り出してくれた(年寄りの仕事、親は忙しいしで・・)、「もう、ひとくべしたら(ひとかたまり燃やしたら)、行かなよ」と言われそれでもぐずぐず火にあたっていた記憶が・・・ははは、むかしから軟弱だったのだわ。

 そういえば春先にその祖母の50回忌をするので「手伝いに」来るように言われていたっけ・・・・父の従兄弟たち(みんなそれなりに高齢ではある)も「これが最後(の法事)」と呼ぶらしい50回忌ができるのも平和だからと思うのだった不肖kominka(ツマ)たちのときは愚息みかんも苦しい生活そ強いられていると思えるから・・・「お寺」だの「お墓」だの「お位牌」だのどうなっていることやら・・・・ま、「遠い?将来を」案じても仕方ない(笑)まずは、今日明日の寒波をどう乗り切るか?である・・うふふっ。


 さぁ今週末、もう一度寒波がきますよ〜〜〜。うちあたり、せいぜいマイナス3度(最低気温)らしいので北の方の方々には申し訳ないくらいだけれどもでも、あばら家はたいへんよ〜〜(笑)おまけに冷え性と来れば(具合が悪くなるくらい)・・・ではみなさまもお体、おいとい(愛い?という字をあてるのかな? それとも方言かしらん?)くださいませね。