古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 「里帰り」はとりとめのないお茶のみ話をしに行くのが目的で(笑)ほら、病院や老人施設に入院している人にせっせとお見舞いに行くよりましかなぁと・・・独断と偏見で思っているだけで単なる自己満足やもしれぬのですけれども(それに「他の」用事が主に、感じる方も多多あるとおもわれるし・・・えへへ)

 「パーマをかけに」行った母を待ってそれから伯母(母の姉)のところに急きょお邪魔したのでしたいずれも80代、現代では「若いほう」かもしれない・・というくらいの「元気なほう」(介護保険の恩恵にあまりあずかっていない)と思われる盆や正月前に床屋(美容室)に行く・・・という常識・・・すっかり忘れていた(笑)伯母も父も「そろそろ行かにゃね」とそれぞれ言っていました。



はにわのような、石造りの「もの」(名前、忘れた・・勉強不足なり)


 昨日のブログの続き「四王寺山の1350年展ーー大野城から祈りの山へーーー」は、不肖kominka(ツマ)にとっては実にタイムリーでおもしろかったのですこないだ山鹿で「元寇の時に駆けつけた街道・山道」という道を通り「山におまかせ膳」ランチをごちそうになったし・・・・明治維新ごろ(田原坂)ではなく1000年以上前のことそれくらい熊本(「きくち」むずかしい字で・・・パソ吉では書けませぬ)と太宰府は深い縁があったのでしたふ〜〜〜〜む。菊池武光は日本では英雄だけれど韓国では悪漢ですからねぇ・・その菊池某が馬に乗った銅像が伯母の家へ通過する地点の公園にあるのです。
※いいわけ※
菊池武光と・・・熊本城のえ〜と??と加藤清正(文禄慶長の役)?と混同しているようです。
あとで。確認しますっ(すみません!)


 そして現在の北東アジアとも似たような状況が1350年前もあっていて(違うけど・・・)白村江ハクスキノエでの戦いネ「唐・新羅」軍と「百済・倭」軍の戦いで負けて「大野城(水城なども含め)」膨大な山城を築くのでした。攻めて来る・・占領されるかもしれないという国防上の理由と言うのはわかってたけれど水城跡だけではなくあの四王寺(山)がそんな・・・・知らんやった〜〜いえ、学校で習ってはいると思われるのだけれど社会科の先生スミマセン、授業ではもんのすごーーく「おおむかし」の無縁なことのように思って丸暗記しただけの田舎の中学生で、ございますそれなりに点数はかせいでたわねあは。


絵本「たける」(米倉斉加年まさかね著)

多毛留〈たける〉 (米倉斉加年)

多毛留〈たける〉 (米倉斉加年)


 1970年代に絵本ブームがあり米倉さんの絵本も一部大人気(大ファンの友だちがいて似たような細かいイラストを描いて絵本作家になりたいといってたにゃあ)でしたその中に「くだらじん」という流れ着いた若者が出てくる・・・・それくらい日本と百済は密接につながりがあったのだというのが今さらながら(30年ぶり?)気がついたのでありましたおそまつ。


 とにかく巨大国・唐の関心がアジアからヨーロッパ方面へ目が行ったのか?どうか?(今もアメーリカと中国は仲がいいもんね輸入・輸出。日本って小さい小さい)、大野城はその後祈りの山(いろんな宗教の修行の山)となったそうで今は庶民のハイキングの場所になっているのでそのうちお散歩に行くかしらね頂上まで車で行けます太宰府からわずか10分くらいかな「なあんもなか」ところではあるのだけれど・・・・ご一緒にいかが?(笑)