古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

真ん中が「とんぼ十坊山」
 吉井の谷
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        まむし温泉の煙突
 
 いずこの地域でも第2次世界大戦末期(敗戦直前)に、アメーリカから(しかもテニアン島?から飛んできた爆撃機に)無差別攻撃を受けたくさんの方が亡くなり都市も破壊された・・・のだけれどここ糸島は「あっち(東)の空が真っ赤になって云々」という話をたとえば、千手院の滝・とうばる唐原(樋ノ口ハイランドに行く途中)や一貴山からでも「見える」博多方面の空である。
 不肖kominka(ツマ)の「里」あたりでは、3月末連日の大刀洗飛行場空襲(東洋一の?飛行場だったらしい)の話が生々しく今も語り継がれているのだけれど筑前町「大刀洗平和記念館」の入館者数がその手の博物館でダントツに高いそうなのだが。特攻隊関連の資料・甘木インターからのアクセスのよさに加えて、毎日数回行われている「朗読」の素晴らしさがあると思っているみなさまもぜひ一度行かれてみてください。ボランティアのサークル「虹の会」の方々がどの方もレベル高く、鳥肌が立つようなすばらしい朗読をなさいますので。
HP「大刀洗平和祈念館」
http://tachiarai-heiwa.jp/





 翌6月20日に、学徒動員(? もう女学校は卒業していたのかもしれないけれど)で博多に行かされていた伯母(10代)を探しに秋月から、父親(わたしの祖父になる)が決死の覚悟で弁当持って歩いて行った・・・という話は何回も聞かされており「西の空(あちらからは西になる)が一晩中真っ赤に燃えとったけん、もうダメじゃろうとみんな思いよったばってん、じいしゃま(おじいさん)が探しに行(い)きんっしゃったもんねー」と。親心である、ただ今80代半ば、小柄で線の細いその伯母はまだ元気、実家の母(彼女の5歳年下の妹になる)にしてみれば唯一生きている姉妹なのでやれ「点滴(栄養補充)入院したけ、お見舞いに行く(行きたいので連れて行け)」だの「あんまり食べよんなれんげな(何か滋養のあるものを持って、会いに乗せて行け)」だの電話がかかってきては運転手させられたりしているところ齢(よわい)80過ぎの母とてわがままにつきあわねばなりますまいて(笑)その母がよくいう言葉は「親孝行、したいときには親はなし」(笑)はいはい・・・おつきあいいたしましょうよ(できる限りネ)