古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 本日はネタ切れでKominka(ツマ)のじいさまのことを書こうと思っているところなれど・・

 殺伐とした事件(認知症とわかっていて売りつけたりとか高齢のご夫婦への強盗だの・・)をニュースで見ているとおじいちゃんおばあちゃんにあまり接したことがなくて単なる弱者(いいカモ)という認識なのだろうかと思ったりしている。
 別に肉親でなくとも異性だったり友人だったり師弟関係でも他人でも誰でもいいのだけれど「愛された」無条件にかわいがってもらってありがたいという感情それが人間を成長させるのではないだろうか?


祖父のシュミ(笑)

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 つづき。誰かさんがるんるんで(夜の街へ)出かけたので少し「作文」しまーす、じいさまのこと(すごーくプライベートなことですみません)ですが、先月13回忌もすんだので彼の人生を省みてみたい・・・仏壇の右から2番目の写真が明治36年6月生まれ(ふたご座)の祖父である「家長」として君臨していて最期まで認知症がそうとう進んでいるのにいばって「起こせ起こせ」なんて言っていたのだったでも、幼い時はものすごく「甘やかしてもらった」らしい(親戚中から笑い話として今でも語り草になるくらいである)、kominka(ツマ)自身は「目の上のたんこぶ」的な存在としか思えず厳しく躾けられた(怒られた)記憶のほうが多いのだったけれど(笑)
 お仏壇の左から2番目の写真は曾祖母で96歳くらいまでぼけもせず長生きで、「ひ孫」としてかわいがってもらったようだ江戸末期生まれこうやって、考えてみると幕末って何代か前の話で「おおむかし」ではなくて「歴史」の教科書で習うようなことが「家の外」(社会)で起こっていたのである・・・ふ〜〜〜ん。

 そして最近、半世紀生きてきてやっと?「お年寄りの個性」年配の方々の生きてこられた「経験」はやはり、“年の甲”だと感じている不肖kominka(ツマ)なのだった。アラスカではエスキモーの諺に「老人が一人死ぬと、図書館が一つ無くなる」くらい知識が失われると言われているとか・・・そう、いくつになってもどんな状況になっても人間の尊厳をなくさず生きていきたいものである。


 単なる「古い家」使いづらいボロ家古めかしいお座敷・仏壇や遺影(写真)と思って育ったのだけれど(まぁどこぞのお偉いさんなどの写真が掲げられるよりいっか〜)、昨今の古民家工事などでkominka(亭主)について行っていると(「成長」?「目が肥えてきた」?のかしらネ)もしかしたらけっこういい家だったのかもしれないと感じているのよ(笑)、弟や甥たちには大事に住んでもらいたいものである(伯母さんは勝手なことを言うのだったへへへ・・)