古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 うちの近所に、食べ物屋さん(食事処と喫茶・ギャラリー。古民家のお店、である)ができた。街からのお客さんが、ちょっと増えた。「見おぼえのない人」というか(笑)、田舎はよその人ってす〜ぐわかるのだ、雰囲気で。



 義母が家の中から、それとなく見ていたらしい。「いい年したおばさんたちが、道ばたの花を(野生ではあるが、きれいなので。川掃除の時も、採っていない・・)、それぞれに何本も盗って帰ってあった」とか。とても残念そうだった。
 義母の言い分は、「あんな花、すぐしおれてしまうから、家に帰ったときには枯れている。子どもならいざ知らず、いい年配になってもわからんっちゃろうか?のうなって、しもうた(方言。なくなってしまった)」


 この手の「話」は、あとを絶たない。
 「山芋掘り」などが、いい例で。田舎の者は、たいてい不満である。街からの「お客さん」は、自然にはえているのを採って何が悪い・・と思ってあるのだろうが。どんな「やぶ」でも「里山」でも、かならず持ち主があり、管理しているのである。
 ひとこと断れば、さしさわりはないことが多いが。持ち主が隣に住んでいるわけではなし、誰に言えばいいのか、わからないとは思う。でも山芋を掘った穴は、埋め戻しもせずに、お帰りあそばされれば・・・そのあと「危険」である。草がはえたりして見えなくなると、落とし穴のようになってしまうからだ。


 うちの「川ばた」の“ぼけ”は、10年来・・・少し大きくなっては、山歩きの方が、おしょって(方言。折り取って)、花を盗って行かれていた。おばあちゃんはがっくりした様子で、春先には毎年報告があっていたものだ。今はいくらか大きくなり「木に見える」ので、花泥棒も減ったように思うが。
 花泥棒は盗人にあらずとか、言うけれど。やはり「どろぼう」だと思う。大事に育ててきた(見守ってきた)人の気持ちを踏みにじるものだと。

 田舎・山歩きのエチケットが、あるように思う。それは、ゴミを捨てないとかよそのうちの花を盗らないとか、街中でも山の中でも、同じなのであるけれど。