※少し、訂正します(6月25日)
「足軽屋敷」「野村家」
百万石の『長町ながまち武家屋敷あたり』
足軽屋敷・・・「長屋」ではなく一軒(お庭つき)敷地は50坪〜70坪
いろんな説明が貼ってあり管理人はいらっしゃらない場所もあったけれど(もう5時過ぎだったりするし・・・回りきらんばい)、不肖Kominka(ツマ)は水飲み百姓系の出身だと思うので(笑)戦国時代に徳川家康と競って豊臣秀吉につかえていた前田利家が、徳川の治世になっても上の方で繁栄したことそして明治まで安泰だったこと、百姓が足軽になり「一旗揚げて」公務員になりこの足軽屋敷をたまわったのだろうけれど・・・と興味(妄想)は尽きないのだったあはは。足軽って戦争の時しか仕事ないやん?
そして天下安泰の世が続き、戦はなくなり武器を磨き内職をし(士農工商の一番上の階級にいても貧しかったと思われる)、余暇に?勉強・シュミ(「お茶」「文学」の教養も、武家のたしなみ)をして百万石を支えていたのでしょうねぇ。
※足軽屋敷は、平成2年と6年まで「お住まい」だったそうです(こりゃまた!びっくり)、そして平成9年11月に長町に移築され開館したのですって。そこでもらった印刷物を、今頃読んで驚いたので・・・ご報告いたします。ってか、『後日』拙ブログをどなたか見てくださっている方があるのか?どうか(笑)えへへ。
長屋門に住む「仲間ちゅうげん」という馬屋番
「仲間」は独身が多かったそうな・・(妻子は無理やん。やおいかんばい)「足軽」は一代限り?らしくてその「株?」を買って侍の身分になるものもあったそう。
※やおいかん(方言。たいへんでありまする)
いずこの時代も、商人はしっかり稼ぐのだろうにゃ
豪商久保彦兵衛邸「旧野村家」
(手前・玄関から、門・前庭を見たところ)
昭和初期に、久保氏が手を入れた(改造された)らしい
何回見ても(写真で)、綺麗。手入れが行き届いているのも雨でしっとり苔まで濡れているのも・・・見学者が(外国の方・西欧系が多いみたいだった英語のパンフにはSAMURAI YASIKIと書いてあったぞ・・・・)ひっきりなしなのも、すごい。「観光地っ!」という感じ。