*[田舎暮らしの応援]
本日・・・・じわ~っとPCの調子もうかがいながら(笑)書きまする。重い(遅い)のはいいのだけれど「フッ!」と寿命が・・・いつPCが オシャカ になるのか??不安は尽きぬ(笑)
観世音寺・戒壇院がお気に入りでその歴史を知るにつけなんで博多に崇福寺が移動したのか? 横岳崇福寺ちゃあ、どこにあるのか?? 時代はごっちゃになるけれど「水城跡」という長い長い防塁や、西新のあたりの防塁跡も含めて壮大な大陸との攻防・・・小さな小さな島国はがんばりよったんだなぁとか空想(妄想?)しつつ一人で散策するのが実に楽しいので。
んで・・・・すーーっかり住宅地になって観世音5丁目(観世音寺裏あたり)~ 観世音6丁目(うえーーのほう・・)~ 白川(現在の住居表示)を「そーついてきた(方言)」のでございます。
い~い雰囲気の「お寺」の山門
太宰府市が住宅表示で古い地名(字あざ)が無くなるのがさびしいと地元新聞などでよく投稿もあっていたっけが・・・・
神仏混合、でもお宮さんとお寺さんはなかよく(?)共存してきた日本の庶民の「気持ち」の歴史もあると思われる・・・あれこれ独断と偏見のことを思いながら歩いたのだった。奈良なんかも遺跡があると住宅の予定が大幅に遅れる(2~3年はすぐたつらしい)というのは聞いたことがあったけれど、太宰府もコツコツと調査・保存してきていたのだなぁ~とよその自治体ながらうれしかったり・・・
あまり有名ではないけれど(わたくしが、無知なだけか? あはは)観世音寺の中のお寺の一つだった「金光寺跡」というとこにも、行きついて・・・・おもしろかった(興味深い)ミーハーであるのでした。
小さなお寺さんだったのとそうとう上の方で住宅開発に遅れを取った(?)のが幸いしてか発掘調査で「全体が保存」されていた。
敷地のはしっこは火葬場になっていたらしく(東屋が建てられている場所ネ)京都で言えば鳥辺野(?)観世音寺の葬儀場のお寺だったのかしらん?(これまた不勉強ですみません)
住宅がそこまで迫っていて・・・・家々のあいだを曲がってたどりついたのだけれど。かなりの「高台」にあるんだが住宅地で「下」は、ほとんど見えません静かな山すそになっております日曜の午前中だしね。
現在でもさびしい(?)ところみたいで・・・・誰も遠足にも来ないのか東屋がいつ建てられたか不明なれどすーーっかり雨漏りなんかしているのでした。
整備された当初、椿を植えた人(造園屋さん?)えらいよ