古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 なんかね〜〜文字がものすごく小さくて「早く引っ越せ」といういやがらせか(笑)というくらい・・・いえ、文字サイズを変更したらよそのHPやらブログなどの文字はやたら大きくなっている(笑)んだけど・・・「目の検査」かい? というくらい小さくて・・・・なんとか「時間を作って」はてなダイアリの引っ越し案内の説明を読みたいと思いますけれどねぇ(す〜〜ぐ、あとまわしにして。泣く目にあうのが常だったあはは)


 所用をかねてドライブして自分も「お休みモード」でのんびりしたつもりだったけれど体は夏の疲れが出てるのか週明けはだるかったデス(笑)なまけものだもんな〜〜なんか元気の出るもの仕入れてこなければやはり「食」ってすべての基本だと思ういつも、通りすがりでセメント瓦で特に魅力は感じてなかったのだが寄って「見ると」これがなかなかよい「展示」になっていてびっくりしたり。
 さすが〜〜工業高校の最寄りの駅・・・というか、子どもたちしか(?)使わないようになった幹線の・・・・支線は第三セクターになってたり田舎は「採算」をいうとゼッタイ合わないアメーリカ的に「切り捨て」ないで公共交通機関を守ってほしいです。


山本駅





夕暮れの三間坂駅





 こないだの休日、図書館でいくつか借りた本の中に(そこで読み始めた・・・)新聞の書評欄で目にしていた新書『原民喜』読み終えた余韻もあり反芻しているところですからその話題も。
 奥さんを(数年闘病された)亡くし、愛妻を看病していねいに死と向き合い自分の人生も終わった・・・と思ってた時に(40代)広島で原爆に遭遇してこれを書くことが使命と作家は感じたようだっただから文学としてもすぐれた作品になっている・・・その「死」と交友関係や彼の、思想的な(芥川をはじめたくさん「絶望」挫折した知識人も多かったし)ものも含めて書かれていて・・・・あんな理不尽なひどい殺され方は「死」ではない人間の尊厳がひとかけらもないという怒りがあれだけのもの(淡々と冷静な目で。一番ふさわしい「文章で」模索しつつ・・・)を書かせたのだと。
 彼の作家としての系譜も同時に、評論のように書かれていてそこは筆者(ノンフィクション作家らしい)の腕というか・・・





 いろんな方の(いえ、数名だけれどね)感想を見ていると・・・・確かに世の中にはきちんと読んで「読書を記録」されている人も多いものだと感心する不肖kominka(ツマ)選書のよい図書館で「借りて読む」のが一番だと最近は実感しておりかの谷川俊太郎さんは、地元の図書館を書斎代わりにされてたり井上ひさしさんちは床が落ちたり(はんぱない蔵書ですからね)石垣りんさんは寄贈された詩集をベッド替わりにしてそこに寝ていた(オーバーでしょうね・・)とかわたくしですら雑学の本が山のようにありますからねぇ・・・・「もの」だけでなく本すらも現代ではゴミ化している(?)ちゅうか実は図書館でも「寄贈本」をどうすればいいか? 悩みは尽きぬらしいのであ〜〜る・・・


 んで。原民喜・・・・怖くて『夏の花』もきちんと読んだことはない彼のこともほとんど知らなかった岩波では新書版のカバーに彼の写真をつけて(上の写真)かなり力を入れてこの夏、発売したようだが図書館の新刊本コーナーに置いてなければ読む機会もなかったと思われる最近まともに本を読んでなかったことを実感して秋(2学期)になったしまたせっせと図書館へ返却がてら(貸出期間を守らねばねえへ)通おうかと思っている朝ですでは、こうしてはおられない昨日のご飯が余ってたので(家人が外食だったり朝は、「冷や飯」をチンして食べさせたえへへ)今炊いて、仏様へあげようと・・・こんなこと、わたくしが毎日するなんて我ながら信じられんばい(笑)ま、できる範囲で・・・・