古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 寒い(風の強い)一日でしたけれどもみなさまはどうおすごしでしたか?(笑)


スケジュール

「福吉太鼓」


「福ふくの里」で採れた(裏の農園で)野菜をキッシュにして販売

 しし汁(イノシシ)¥200



 「福ふくの里」にあとで寄るとお魚は(福吉漁港からの直送)「海が荒れて」あまりありませんでしたうちあたりの漁師さんたちの魚が主流ですから・・・・でもね鯛の漁獲量が日本一になったこともあるくらい本格的な漁港なのですよ。


いっぱい船があると妙に興奮(笑)


 賑わっている会場をあとにして駐車場(しかもはし〜〜〜っこに誘導されたぞ)を歩いていると12月中旬にあるわたくしの中学校・クラス会の「出欠」を尋ねる電話があぁそうでした締め切りは20日なんでポストに入れたばかり(遅すぎ)でした・・・・ごめんね師走は忙しいから欠席で(投函)今日も、イベントに誰かさんが「つかみどり」の水槽(ビニールシートで簡単に? 造作したりする)作ったり「大声大会」の準備したりしてるからと言い訳しつつ・・・少し長電話したりして。いろいろありよりますと。



ボランティア「交通安全指導員」さんたち、大活躍


うちの職人さんたちも、関わってくれております(それぞれの地域で)ご苦労様。



         ×     ×     ×



 こないだは旧志摩町志摩半島)を回ったのだけれどそうそう忘れてた「姫島と野村望東尼」展が12月3日までだったから(レトロカーミーティング・くるくるマーケットの時「ついでに」見ようと思っていたけど、「欠席した」からにゃ〜〜・・・)見学しました幕末「遠島・島流し」になった勤王派の彼女を、300人くらいの島の人たちはけっこう親切にさし入れたり「なんかもらったり」(書や小さな小物・手作りなどをもらったらしい)したそうな・・・歴史の表舞台にはほとんど縁がない地域なので著名人の一人なんであ〜〜る。60代の望東尼(「ぼうとうに」もしくは「もとに」と呼ぶ)を、高杉晋作(晩年のといっても、まだ20代)の指示のもと福吉か浜崎の漁港から救出? 脱獄? 作戦は「成功した」のだが・・・それって明治維新になったら「ちょうげし」(方言?)になったのかしらん??
 すんごい「年寄り」老人かと思ってたらあまりかわらない年代だったのか?(今の自分と同じくらい? うは〜。獄中生活はこたえたらしい・・・それから1 年程度で高杉の後を追うように山口で、亡くなっている)まさに激動の幕末期、罪人か英雄か・・・・なのだろうが志摩歴史資料館の主張はあくまで「姫島」での生活。



 その高杉晋作が浮嶽神社に泊まった(?)記録・伝承? があるらしいので、受付で聞いてみると「救出」のときはもう重症だったのでその前に九州オルグ? に来た元気な時だろう・・・と、拝察されるふむふむ誰かさんが「隠し部屋」があったげな(方言、あったそうな)とのたまうから「取材」したのだった館員さんに。