秋晴れになりそうな(いつのまにか酷暑はすぎ・・・)朝ですけれどみなさまお変わりありませんか?(笑)不肖kominka(ツマ)の実家は、旧朝倉郡でも、今回大災害にあったところからかなり離れていて・・・そのむか〜〜し子どものころは原鶴はらづる温泉は1泊しないと行けないくらい「遠い場所」でした。
それでも筑後川は(遠いけれど)父が鮎の解禁を待ちかねて釣りに行っていました今は鬼籍に入られた友人のところへ、よく遊びに一人でバイクで通っていましたがわたしたち家族はあまりに遠いので(笑)行くことはありませんでしたっけ。教育実習に来られた若い先生に会いに「そうとうの覚悟」でバスに乗ってはるばる、行った記憶もあるのでした「大旅行(日帰り)」の冒険でしたわねぇあはは。
父子で、初めて歩いた年(五月の連休に)
姪甥も、小さかった・・・・はや幾歳月(笑)
少しずつ知り合いの方や古い友人の話が聞こえてくる(残暑見舞いの返信などで「伝え聞く」程度・・・)ようになり、ローカルテレビでもまだまだ取材してくれていて・・・・様子がわかってくるにつけて甚大な被害だったことがわかります。
こないだは。寺内ダムの上の「佐田」「黒川」地区(高木中学校区)のことが放送されて、親しかった友だちがあそこに何人もいて農業をしていたりだけれど・・・・もういい年だから子どもさんやお孫さんがいるだろうな、どうか息災でありますように・・・
新聞ではまだ取り上げてくれるから「わかる」ようなものだけれど(もちろん! 東北や熊本・・・に比べれば・・・う〜〜〜んなんというか・・・)それでも、『不安に応えた支援急げ』「道路寸断・収入も絶たれ」「雨降るたびに避難指示・生活資金乏しく」と山間の農業・林業、厳しい現実・・・「三ちゃん農業」などと言われて日本の農作物を支えてくれたのです・・・・
親孝行のまねごとで。数年前に、
台所が「上」炊事場(板張り)に・・・
2013.4.のことでした(月日のたつのが早いこと)
http://d.hatena.ne.jp/fujiwarakominka/20130405
http://d.hatena.ne.jp/fujiwarakominka/20130424
せめて・・・なにもできないけれどエールを送ります「生きてるだけで、ぼろもうけ」です。ちょっとした「笑い話」でいいので、いろんな話を回りのみんなとして、うさばらしもしてくださいね〜〜〜。同じ県内でも(生活・仕事もあるし)なかなか行けずに歯がゆいけれど。とにかく、応援していますよ〜〜〜♪♪