古い研の見学会には毎年参加いただく常連の方もあり数年前に「豊後高田・昭和の町」に行った後で運転手さんの好意で裏耶馬溪に回ってもらった・・・思いがけずとても綺麗な紅葉を見たことを思い出してある方も多かったです(笑)こうなってくると「旅は道づれ」というか同好の(似たシュミの)方々と見学ツアーに行く楽しみも増してくるのでした。
旧久留島家庭園のもみじ
松山の愚陀仏庵ぐだぶつあんに、似てる感じの作り「栖せい鳳ほう楼ろう」
殿様の茶室(特別に開けていただく・・・)
※注※
「愚陀仏庵」は土砂災害で、無くなりいつでも見れると思ってたのに残念。
建物も諸行無常の響きあり・・・
そこここにボランティアガイドさんが待機してくださり(機関庫跡や久留島家庭園・末廣神社など)詳しく面白く歴史を語ってもらったのだけれどあまりの熱演に「山」に登るタイミングを逃しあわてて途中から抜けて山歩きに慣れてある(マラソンのシュミもある)yos・i・・miさんと一緒に小一時間で登ってきましたけれども、けっこうハードで汗かきましたデス・・・まにあってよかったぁ〜〜(笑)
「角牟礼つのむれ城址」本丸跡
その頂上の城壁(石垣)
封建制度(江戸時代)の地方の小さな藩の宿命は、藤沢周平などの小説から「たそがれ清兵衛」?「武士の一分」?(山田監督の3部作?)なぞというドラマになりやすい題材も(激動の江戸末期〜明治維新後のことも含め・・・)多いようだけれどそれだけ悲哀もあるのだと詳しい記録がないだけに「想像の余地がある」・・・・その下の庶民の苦しみはあんま、考えてないのかもしれないけどねぇだから明治維新(ご一新)や敗戦後の憲法が与えられたものだ云々という「へりくつ」もあるかもしれぬが不肖kominka(ツマ)は、大きな大きな歴史の歯車は進んでいると信じているのでした(誰もわたくしの意見なんか聞かんやろぅけど・・おほほっ)
末廣神社の裏にある立派な「表門」
ここは「立ち入り禁止」なぜならば・・・スズメバチが大きな巣を作ってるとか(笑)
ガイドさんの話では「水上水軍」の末裔(関ヶ原など云々で領地を与えられ)陸に上がった河童?のようなもんだった・・・とかにゃるほど〜妙に腑に落ちる(笑)とにかく「城址」しろあと城跡というのは竹田城にしろ広大な名護屋城址にしろロマン(妄想?)をかきたてるのではあります。楽しかった〜〜。雨も落ちずときどき晴れ間もあり事故もなく今年の見学会も、無事終了しましたこれでひと安心でございます。
※追記※
「古材の森」(油機エンジニアリング)の有田さんがバスの中でいろいろ説明してくれた中にこの森藩の話(白石一郎の小説)があるのだとかでそのうち、図書館でリクエストして読んでみようと思っておりましてみなさまにもご紹介しておきますね(笑)『島原大変』短編集の中に「海賊たちの城」があるそうです。おもしろそう・・・・