古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

うちの「やぶ」
 コダマが・・・

 酷暑にならないまま秋がきました曇りばかりの夏が終わろうとしていますそれでも植物は育っておりますみなさまのところはいかがでしょうか?


 2〜3日のことだけれど悪くなったらいかんけ、カニと「汁」と冷凍してましたお昼に炊きあがるように(あっちで作ることにした)出かけて参りますふつー、「つがに」はお彼岸・9月末ごろ旬なのでなんだけれど・・・このお天気で? 実家の祖母(63歳くらいで死去)のこと、母方の祖母(山育ちで、お刺身は鯛しか食べなかった)やらあちら・彼岸にいる人を思い出しておりますそれよりなにより「生き仏様」(笑)どちらもまだ健在の老親にたまに「おごちそう」でもしてみますか? 庶民はどこぞにお食事に行く習慣はないのでした。だってどっちの親も「あるもんでよか」ち、言われるんでうどん一杯でも食べに出て手抜き(失礼)したくてもできないのですあははっ。


これはたぶん、実家から鉢植えについてきたのだと思われる(笑)名前??忘れた・・

むか〜〜〜し、お庭にいっぱい咲いてた(これ「葉っぱ」かな?)懐かしい



 とーきどき祖父のことを書いておりますが今、考えてみると祖父にそうとう影響(支配?されていた)と思って・・・まぁいいこともたくさんありましたが不肖kominka(ツマ)にとっては親より「目の上のたんこぶ」みたいな存在でそのくせ甘やかされてたんで10歳くらいまで髪の毛を洗ってもらったりしてました(もちろん一緒にお風呂に入っていた・・・えへへっ)理科の先生だったらしく植物に詳しかったし(けっこう「走り」の植物を育てていたようで)、名前は聞けばいつでも教えてくれたんでまったく覚える気がない孫で、生意気にもよく反抗もしてましたっけ(笑)お盆お彼岸と思い出したりする時期なのかしらねこう涼しいと・・・・祖母は今でいうクモ膜下?で急に亡くなりそれまでいばり散らしていた祖父、よく突然に(孫にとっては)「かんしゃく」を起こして怖かった記憶が・・・明治の生まれの彼が毎週毎週、祖母が亡くなった曜日にお墓参りをしたり・・・狭い庭(おつぼと呼んでいた)に祖母の俳句「句碑」を建て、そこに戒名からつけた「庭の名前」を板に書いて飾ったりしてた風流人(へんじん?)だったのだけれど、10代前半の内孫はクールに「あんなにいばらんでやさしく言えばよかったつに」とか思ったりしてました(生意気生意気)、そして祖父はそれから30年くらい長生きしたのでした・・・・人間、寿命がありますからね生きてる間は「元気に」楽しくいたいものです。

 それより「生き仏様」につがに飯でもごちそうしてまいりませうはい、では・・・「親孝行したいときには親はなし」ですよみなさま(笑)