古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 数年前から、田舎暮らしをはじめられた女性が、親の介護で実家に戻られることになった。せっかく仲良くなったのに(ずーーっと死ぬまで、おつきあいするつもりだったけれど)、さびしい。もうすぐお引越し。先のことはわからないので、また帰ってこられるかも?詳しくは書きませんので、あしからず。
 先日の週刊誌ネタ(女優さんの「田舎暮らしバッシング」記事)のときにも書いたけれど、一旦田舎に住んだら、未来永劫そこに住み着く必要はないと思うのだ。街に住んでる人が幻想で?「理想郷としての田舎」を夢見ているのかなぁと、昨今のブーム(不動産・マスコミのはやり?として)を見て思う。

 今、福岡市の陸の玄関「博多駅」周辺を考えるシンポジウムや「旧博多部ウォッチング」「黒田藩の云々」が、新聞紙上でよく話題になっている。(西日本新聞主催の行事だからかな?)その結論の一つも、住んでる人が愛着を感じる「街づくり」のようで、それは田舎も都会も変わらないだろう。千年の歴史で、京都に学ぼうという企画でもあったようである。
 古びた言葉?になったが、「無責任」「無感動」「○無主義」・・・そのほうが都合がいい勢力?などがはやらせたのかもしれないと、最近思う。小さな感動でいいのだ。自分の住んでる地域を愛して、これから先の(ずーっと先の)ことを、「考えるってこと」だと思うのである。

 うちのご近所からは、お引越しされるけど、ここで一緒にすごした時間・共有した思い出はきっと、彼女にもわたしたちにも「力」になっていると信じている。