古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。


 去年の3月にこのブログに書いていたけれど、『お観音講』のことを書いた、『民族文化財 調査報告書 第5集』という冊子が、二十日の日に役場から届けられた。うちの集落(小部落)では、「毎月20日」といっていたからだろうが、実際は、観音様を預かっている「その月の当番の家」の都合で、何日かずれ込むこともあるので、そのときに(2〜3日あとに)配ることになった。


 人文学部の大学院生と大学生が、kominkaの家にも(月当番だった。観音講の夜)来られて、うまく説明できずに、古老に聞いたりしてもらったのだった。女性だけの集まり(「お経会」のような、ただし宗派に関係なく・・)である。それが、各地域ごと(4ヶ所残っている)の「講」をきちんと取材して、写真もふんだんに載っているし、立派な小冊子になると、なんだか責任が出てきたというか(笑)。つい「古くさい」とか思ったり、自分の用事や、寒いから「行きたくない」怠け心で、さぼりがちであった。
 お経をあげるというのも、なんだか抵抗があるし。まぁ慣れないことではあるけれど。うちの隣組では、あまり有名じゃない?「舎利禮」「光明真言」「十三仏真言」「十句観音経」「観音経」「般若心経」を3回づつ唱える。「修行」と思えば、いいのやも?しれぬ。
 ま、それは40分くらいで、あとの「お茶のみ話」を楽しみに、お年よりは集まってあったのではないかと、思う。なにも派手なものがない、まさに田舎である。「町」に行くには、電車かバスで30分はかかるが、その駅までも歩けば30分くらいはかかる「中山間部」である・・・・「それゆえに(中山間部だから?)、今まで毎月続いている」と考察されていて、当事者としては興味深い(苦笑)。


 このことで、隣組のある人と少し話した。拝むとか信心するというのは、「生かされている」感謝する心なんじゃないかと。別に何を拝んでも、いい。お経をあげることで、謙虚におのれを振り返る、いい機会じゃないかと。不信心なkominkaではあるけれど(苦笑)


 「調査」では、観音様とお太子様が両方祭られているところや、お宮とお寺が一体だったころのなごり・・も見られると書かれていた。秀吉の朝鮮出兵・諸国統一(天下取りの「野望」)のときに廃寺にされたが10のお寺があったので、とんぼ(十坊山)という・・・と、聞いたことはあった。その後、四国88ヶ所巡りを模した、ここあたりの風習が(昭和3年頃に)はじまり・・・ついこのあいだまで続いていたことも、記録されていた。
 毎年春と秋の「お彼岸」のころに、88ヶ所(範囲は、「小学校区」の中にある「広さ」)を歩いて回るのであるが、近場とはいいながら2日がかりである。春と秋では回り方が、反対になる。それで、自分のそばのお堂(「観音堂」「地蔵堂」「釈迦堂」「天神様」などで、それぞれに祭ってある)の、お接待の手伝いに行く。お昼頃にみなさんが回ってこられるときは、おにぎりだったり、遅いときはお菓子だったり・・・何人が来られるかわからないので、余分に用意する。
 中心でされていたご老人(男性)が、足が弱られると、車で乗り合わせて回ってあった。亡くなられてからは、この「大めぐり」は途絶えたようになっている。一人熱心に信心してある女性(40代)がおられるので、再開する可能性もなきにしもあらず・・・・。


 特別熱心と言うわけではないが、なるべく協力したいものである。この報告集で全体像が、見えてきた。やはり書物にするというのは、いいことだと思ったのだ。