古民家の記

いつも(!)「古民家改造工事」をしたい・・・誰かさんの代筆で(笑)ミーハーブログをしているkominka(ツマ)でございます。

 田舎に住みはじめて、「20〜30年住んでも“よそ者扱い”なのよ」と、悔やまれるように、話された方があった。それは、肌で感じる部分も、大きいと思うし。その地域に、「新入しんいり」が、ほとんどない場所であれば・・なおさらそうなるだろうと思う。
 いろんな習慣の違い、小さな「無言の決まりごと」、出ごと(共同作業・お葬式の参列炊き出し・お宮掃除や御祭りごとなども含めて)に、できる限り参加しているかどうかを、長い年月で「見られている」。ムラの「役」(隣組の当番、お宮の「小さな役」)を、きちんと務めたかどうか?も、大きな要素のようだ。
 ※お宮の行事を「宗教の自由だ」と、拒むのは、あまりよくないみたいである。あるキリスト教の方と、雑談で話してたら。田舎に引っ越すに当って、ムラの役員さん(区長さんか?)に、挨拶に伺ったら「お宮のこととかは、出られんでしょうな」と、言われ・・「もちろん何でも、出ますよ。地元の八百万やおよろずの神を、尊重しないで、なにがキリストでしょうか」と、答えたということだっった。
 そのキリスト教信者さん一家は、暖かく受け入れられているようだ。これからの行動も、見られていると思うけれど。
 無宗教ゆえに、簡単に「拒否」してしまい、無言でその地域の人たちに「やんわりと拒否」されている・・ことには、気づきにくいものである。


 あるトラブルがあり。自分のブログに「書いて」それを、近所にコピーして(「増し刷り」というか)配っている人があった。印刷したものを「配る」という行動は、「なんとなく違和感」があるようで、「口で言えばいいのに・・」ということらしい。
 別の人が「お知らせの文書」で、自宅の集まり(当番で、各家を回る行事)を知らせたときは、そうだった。

 そのことは、もしかしたら裁判に発展するかもしれない状況だった。発端は、新聞記事。畑の隣人とのいさかいから、警察に通報され、「正当に反論」するというやり方だったかもしれないが。
 そのブログの記事の内容は、他人が読んでも、中傷としか感じられないし(感情にまかせて書いた文章のように感じた)、「警察か裁判所の判断を待とう」というのが、ご近所の反応のようだった・・・今までのムラの中では、初めてのことなので、抵抗感(違和感)が、あるようだった。


 かなり前にテレビで、インターネット関係の会社と、マスコミ(新聞テレビ)との比較取材があっていた。テレビ関係者は、戦々恐々としていて、ネット関係者は「一緒にやりましょうよ」という姿勢のように感じたのだ。ブログはじめネット関係は、今「日の出の勢い」であるので、従来のマスコミは不安に感じてあるようだった。たとえば図書館ができると、本屋やビデオ屋がつぶれるということはないように、どちらも「共存」できるように思うのだが、どうだろう??
 そしてブログの記事より、新聞・雑誌の記事のほうが、信頼されるようだ。(もちろんハイエナのような雑誌・記事は、別)。ブログは、「デスク」みたいな人がいないので、独断と偏見で書けるし。いろんなブログを見ている限り、信頼できるブログは、多くはないように思う。
 人のことを言えるのか?「人の振り見て、我が振りなおせ」である。自戒。